うさ日記

あるがまま。

角田光代という作家について

異性に対して〔好みのタイプ〕があるように、人にはそれぞれ、感情を揺すられる〔ツボ〕があるのだと思う。

わたしは、普段から感動屋ではあるけども(安いドラマやお芝居と分かっていてもつい泣いてしまう)、とりわけわたしの涙腺を弛ませ続けてきた作家が、角田光代さんだ。

いちばん初めに読んだのは『空中庭園』。
たしか高校生の時に、目一杯背伸びして買って読んではみたものの、いまいちその魅力は分からなかった。

それから大学生活四年間を経て、わたしもすっかり色々あって、酸い時間も甘い時間も、両方過ごして。
そうして社会人一年目を過ぎたころ、再び彼女の作品を手に取った。

『なくしたものたちの国』。
表紙の絵に何故だか心惹かれ、パラパラとページをめくると、松尾たいこさんの可愛らしい挿絵にまた目を惹かれ。
これは絶対にハッピーエンドじゃあないぞ、と、タイトルを見ただけでじゅうぶんに予想できるのだけど。

わたしはこの本を、一息に読みきってしまったのをよく覚えている。
そして読後、ぐったりとしてしまって、しばらく回復できなかったのも覚えている。

ひとりの女性の人生が、年代を追うように、いくつもの短編小説で構成されているのだけれど、どうにもわたしは、角田光代さんの書く文章がツボなのだ。

彼女の文章は、やわらかくて、いかにも女性的なんだけど、それでいてフワフワしていないというか、夢想的でないというか。
しっかりと、地に足を着けてものを見ている感じがするから好きなんだ。

小説の中ではもちろん、よくあることもそうそうないことも全てがない交ぜになっているのだけれど、それを見ているのは全て日常の目線で。

まるで自分で見てきたような、体験してきたような、あらゆることがストンと腑に落ちるような、不思議な感覚。

単純に、わたしと彼女のものの考え方や見え方が近いんだろうか。
なんだかそれだけじゃあないような。
これは、というかこの作家に限っては、恐らく男性よりも女性のほうが理解しやすいんじゃないかな。

そうかと言って、小説の主人公に自分を重ねることは決してなく。
あくまでも第三者として、「良かったねぇ」、「辛かったねぇ」、「その気持ち分かるよぉ」なんて、共感をひたすら繰り返していく感じ。

強いて言えば、女友達のような。

人によっては、「少しも泣けなかったし何が面白いのか分からない」と言う人もあるだろう。
それはなんとなくよく分かる。
それこそ、〔好きなタイプ〕が真逆の友達に「あの人カッコイイよね!ステキだよね!」といくら言っても同意が得られないのとおんなじだ。

それでもわたしは妙に、ページをめくるごとに、ほんの一文一文に、目に涙を溜めて、つらつらと流しながら、構わず読み進めるハメになってしまう。

問題なのは、そうして感性がいくらすっきりしても、読後のぐったり感が尋常ではないということ。
よっぽど元気なときか、時間がゆったりとしているときにしか、わたしはこの人の本が開けない。

だから当分は、本棚で眠っていてもらわないと。