うさ日記

あるがまま。

パンが好きな26歳の女性

「パンが好きな26歳の女性」という言葉がテレビから発せられて、母と顔を見合せて、そのあとどちらからでもなく、お互いにプッと吹き出した。
「それって、」
「わたしのことじゃん!」

テレビが言っていたパンが好きな26歳の女性は、やまゆり園の事件で、殺害された被害者のことだった。
この事件で殺害された入所者の人たちは、名前が公表されていない。
年齢と性別と、好きだったものと、似顔絵を公開して、命の尊さをNHKの特設サイトで伝えているらしい。

一体この世の中にパンが好きな26歳の女性はどのくらいいるんだろう。
きっと物凄い数だ。
亡くなった女性にはたまたま障害があって、わたしにはなかった。
それだけのことだ。

それでもわたしは、なぜか彼女たちの死に、親身になれずにいる。
北島三郎のファンだったり、缶コーヒーを買うのが日課だったり、囲碁が好きだったりする彼や彼女らが、どこか遠い遠い外国の人のような感覚でしか捉えられない。
きっと家族に障害者がいたら、もっと親身にこの問題に向き合えるのだろうけど、実感のないわたしみたいな奴が、もっともらしいことを言っても、偽善にしかならないから。

きっとこんなことを言えば怒られる。
「冷たい奴だ」「差別的な奴だ」、と言われる。

それでも、模範的なことを言ってお茶を濁している人よりは、正直だし、真摯に向き合っているような気はする。

番組に寄せられたメッセージで、若い女の人が、「差別するつもりはないけど区別はしている」と、はっきり言い切っていた。
専門家の人は確か、それに対して「役に立たないとか、そういう考えが間違っている」というようなことを言っていた気がする。
価値のある人間かどうかという観点では役に立つとか立たないとか言うのはナンセンスだ。
でも、生産性があるかどうかという観点では?