うさ日記

あるがまま。

ルパン三世、大泉さん説

モンキーパーマの孫悟空をみていると、、

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(↑下段真ん中のこいつね。大泉さん。)

どーーしてもルパン三世が脳裏にチラついてしまう。
なんか、顔も…m(._.)m笑

というよりは、
ルパンのしゃべり方?イントネーション?
北海道なまり入ってません!?

カッコよくキメてるときは標準語なんだけど
コメディっぽい台詞は基本大泉さん。笑

幼少の頃より幾度となく鑑賞してきた
あの「カリオストロの城」さえも、

いつしか
あれ?大泉さん?なにしてるの?状態に。。

しかしネットでは
銭形警部のモノマネの
クオリティの高さについては触れられてるものの、笑
同様の意見は見られませんでした。←

おっかしいなぁー
疲れてるのかなぁo(><;)(;><)o

漢字に関するとりとめのないおはなし(ジャク編)

ゼイジャク。
身体・組織・器物などがもろくて弱いこと。

バンジャク。
きわめて堅固なこと。

活字として読むと、
しっくり来ないこともないんだけど。

音で聞くと、何故だか逆の意味を想像してしまう。。

ゼイジャク 贅若
金にモノを言わせてボンボンの若者がブイブイ言わせること。

バンジャク 盤弱
基盤が弱く人差し指でつっついたらソッコー崩れそうなこと。

ちなみに、「盤若」と書いて、はんにゃ。
お笑い芸人じゃあないよ。

般若って若者なのかなー。
「若い」って強いのかなー。弱いのかなー。

体力と気力があふれる生命力の強さ。
経験不足ゆえの弱さ。

何となく、強い気がする。

なーに言ってんだか。

密かな愉しみと恋愛のあれこれ

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『京都人の密かな愉しみ』、再放送やってくれるとは。
やっと最終回がみれる~(T_T)
本放送のとき、うちのオカンが大好きな和牛の川西くんをみるため、チャンネルを明け渡したの。(うちのテレビはリビングしかBSが入りません)

いやー、まさか、〔密かな愉しみ〕と〔不倫〕が掛けられていたとは。
粋だ。
たしかに、常盤貴子が演じた女性はそんな感じのひとだったー。
すれてるわけじゃないけど、諦観のひとというか、どこか俗世を捨ててしまった風にもみえる。
なのに女らしさが少しも尽きてないというか、むしろ色っぽくみえるんだよね。

別にそういうこと(不倫)を肯定するわけじゃないけど、辛い恋を飲み込むと、女レベルがグーンと上がる感覚がある。
平々凡々な幸せは穏やかでいいけど、そういうハネ方は絶対にしないんだ。
大人になってるぞ、大きくなってるぞ。
多少のことでは動じないぞ、って。

ドーンと不敵に構えてるイメージ。(下図参照)

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美容院のお兄ちゃんから仲良しの友達まで、みんながみんな「恋をしないともったいない!」と口々に言うけど。
中には、「アンタそんなんじゃ閉経するよ!」と大胆な警告をしてくれるかっこいいお姉さんもいたけど。

恋には密度と量があって、これを飲み込んだらしばらく栄養は摂取しなくても大丈夫!っていうような、高カロリーな恋だって存在する。

それは舌にとっては苦かったかもしれないが、こころにとっては、なきゃならない栄養だったんだと。
思えば、心晴れ晴れ。

おっと、失礼。
取り乱しました。m(_ _)m

わたしはね、常盤貴子さん演じる女のひとの辛さを思ってもジーンときたけど、お母さんがすごかったなぁ。
「堪忍…」って、娘がいちばん辛く悩んでるときに、助けてあげられなかったことを詫びるのさ。
この、お母さんの心中と、娘の心中(罵られるほうがよっぽど楽だ)を思うとね…

なんだかわたしの中の女性性が、背筋の伸びるような、凛として生きていたいなと思わせてくれるような、いい空気感をもった番組だ。

松尾アナと大原先生のお料理コーナーはほっこりするし、大原先生の女っぷりは、勉強になるし。
たおやかで、それでいてどこか芯の一本通ったような物腰。
大好き。

京都というと、美しい景観や文化よりも、最近では「ぶぶ漬け食べていきよし!」的なイジワル文化が殊更クローズアップされているけど。

部外者としては、そんな京おんな京おとこの強かさやしなやかさが眩しいんだな。

だから無性に行きたくなるんだなー京都。
たしかに京都から帰ってくると、背筋の伸びるような気がするものー。

やー、はやく続きがみたい。

角田光代という作家について

異性に対して〔好みのタイプ〕があるように、人にはそれぞれ、感情を揺すられる〔ツボ〕があるのだと思う。

わたしは、普段から感動屋ではあるけども(安いドラマやお芝居と分かっていてもつい泣いてしまう)、とりわけわたしの涙腺を弛ませ続けてきた作家が、角田光代さんだ。

いちばん初めに読んだのは『空中庭園』。
たしか高校生の時に、目一杯背伸びして買って読んではみたものの、いまいちその魅力は分からなかった。

それから大学生活四年間を経て、わたしもすっかり色々あって、酸い時間も甘い時間も、両方過ごして。
そうして社会人一年目を過ぎたころ、再び彼女の作品を手に取った。

『なくしたものたちの国』。
表紙の絵に何故だか心惹かれ、パラパラとページをめくると、松尾たいこさんの可愛らしい挿絵にまた目を惹かれ。
これは絶対にハッピーエンドじゃあないぞ、と、タイトルを見ただけでじゅうぶんに予想できるのだけど。

わたしはこの本を、一息に読みきってしまったのをよく覚えている。
そして読後、ぐったりとしてしまって、しばらく回復できなかったのも覚えている。

ひとりの女性の人生が、年代を追うように、いくつもの短編小説で構成されているのだけれど、どうにもわたしは、角田光代さんの書く文章がツボなのだ。

彼女の文章は、やわらかくて、いかにも女性的なんだけど、それでいてフワフワしていないというか、夢想的でないというか。
しっかりと、地に足を着けてものを見ている感じがするから好きなんだ。

小説の中ではもちろん、よくあることもそうそうないことも全てがない交ぜになっているのだけれど、それを見ているのは全て日常の目線で。

まるで自分で見てきたような、体験してきたような、あらゆることがストンと腑に落ちるような、不思議な感覚。

単純に、わたしと彼女のものの考え方や見え方が近いんだろうか。
なんだかそれだけじゃあないような。
これは、というかこの作家に限っては、恐らく男性よりも女性のほうが理解しやすいんじゃないかな。

そうかと言って、小説の主人公に自分を重ねることは決してなく。
あくまでも第三者として、「良かったねぇ」、「辛かったねぇ」、「その気持ち分かるよぉ」なんて、共感をひたすら繰り返していく感じ。

強いて言えば、女友達のような。

人によっては、「少しも泣けなかったし何が面白いのか分からない」と言う人もあるだろう。
それはなんとなくよく分かる。
それこそ、〔好きなタイプ〕が真逆の友達に「あの人カッコイイよね!ステキだよね!」といくら言っても同意が得られないのとおんなじだ。

それでもわたしは妙に、ページをめくるごとに、ほんの一文一文に、目に涙を溜めて、つらつらと流しながら、構わず読み進めるハメになってしまう。

問題なのは、そうして感性がいくらすっきりしても、読後のぐったり感が尋常ではないということ。
よっぽど元気なときか、時間がゆったりとしているときにしか、わたしはこの人の本が開けない。

だから当分は、本棚で眠っていてもらわないと。

「TEAM NACS なまら使いやすいスタンプ」がなまら使いにくい問題

わたし、TEAM NACS の大ファンでして。

先日、思い切ってLINEスタンプを購入したのですが。


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その名も「TEAM NACS なまら使いやすいスタンプ」。

そう、なまら(とても)使いやすいスタンプなのだ。
なまら使いやすい…………?いや、使いづらいっ。

いや、たしかに、NACSメンバーがそれぞれ表情豊かにスタンプになってる。

添えられた言葉も、「ありがとね」「OK」「行けたら行く」「大丈夫」などなど、汎用性に溢れまくっている。
というか、世のクリエイターズスタンプで溢れかえってるようなテッパンフレーズのオンパレードや!

それなのに何故、スタンプを押すわたしの指は、こんなにも躊躇っているのか…

冷静に考えてみた。

うん。

「え、誰?」という画面の向こうの友達(同僚)の戸惑いが、目に見えるようにしっかりと伝わってくるからだ。

たとえば、名前も知らないアニメキャラのスタンプは、受け取る側も「あーなんかアニメだな」って思うじゃない?「わたしゃ知らんけど、なんかこの子はこのアニメ好きなんだろうな」って。

それが、ただただリアルな表情のおじさんの顔写真がそのままイラストになって、スタンプになってたらどうだろう。

わたしだったら、ちょっとびびる。
それで引くとかはないけど、返しには困る。

その反動か?趣味友達には悪趣味なくらい連打してるけど(笑)

気にしすぎと言えば、そうなのかなぁー。

だから結局、友達には大泉さんのスタンプだけを送るようにしている。
大泉さんなら、少なくとも「あ、大泉さんだ」って見た人も分かるし。

そして、だんだん調子がでてくると、安田さんを、シゲちゃんを、追加投入する。
本当は音尾くんやリーダーのスタンプだって送りまくりたい!連打したい!
でもグッとこらえて、わたしは今日も、大泉さんのスタンプを友達に送りつけるだろう。


…それにしても、「大泉洋が好きなんだよね」と控えめに主張しても今まで誰ひとりまともに反応してくれた友達がいなーい!
《日本一チケットの取れない演劇ユニット》って、一体どこの誰が取ってるのよ!?って言いたくなるぐらい!

キリンジ『ニュータウン』への考察

わたしね、趣味でバンドごっこをしているんですけど。
キリンジの曲をやろうということになって、最近になって色々と聴き直して。
まーーー、惚れる惚れる。

キリンジは、初期の作品がとにかく良い。
洒落なメロディを淡々と歌い上げる、優しいのか冷たいのかまるでよく分からないボーカル。
お腹の底を抉られるような、その言語感覚に思わず「ずるい!」と言いたくなるような歌詞。

中でも『ペーパードライヴァーズ ミュージック』(1998)は個人的に名盤!

ペイパー・ドライヴァーズ・ミュージック

ペイパー・ドライヴァーズ・ミュージック

このアルバムの中に入っている、『ニュータウン』という曲がすごく好きで。

いわゆる〔Aメロ〕から〔Bメロ〕に入るところの、メロディと歌詞がたまらないのです。


「ひしゃげた傘の歌は もう歌いたくないのだろう」(一番)

「茨の冠は もう打ち遣りたいのだろう」(二番)


〔ひしゃげた傘の歌〕も〔茨の冠〕も、〔歌いたくない〕〔打ち遣りたい〕ような、彼にとっては忌まわしい存在。
そのフレーズが気だるげに落ちてくメロディとシンクロして、もう最高だ!!!

そして、二番目の「茨の冠はー」の歌詞に続く、


「脊髄駆け抜けてく 悲しみをたやすく 追い抜いてく君は誰だ?」


に繋がってしまうわけだ。やられる。。

まず、〔脊髄〕を〔駆け抜けてく〕ような〔悲しみ〕ってなんだ!?という衝撃から始まるもの。
電気が走ったような、そんな感覚だろうか。
なんだろう、もっと、命を脅かすような?

そんな、滅多に経験し得ない〔悲しみ〕を〔たやすく追い抜いてく君〕の正体、わたしも知りたい。。すごく気になる。。。

そして、〔ニュータウン〕という言葉の響き。
この歌が作られた当時、いわゆるニュータウンはステータスの象徴だったのかな。
都心に住まうほどの財力はなく、一歩引いたところに生活圏を築いた、〔二番手〕の彼らを想う。
通勤に長い時間を費やし、せっせと働いて、家族でささやかな幸せを守る。。

全国各地のいわゆるニュータウンにおける過疎化、高齢化のニュースを思い出す。広々と、ガランとした空洞のような場所。かつて、いくつもの家庭が、ささやかな幸せを描き、暮らした場所。

それをひとりぼっちで眺めているような。
それも、高いところから見下ろしているような。

お腹の奥がキューッと締め付けられるような切なさ(〔絶望〕や〔諦め〕に近い)と、脊髄を駆け抜けてくほどの悲しみを「たやすく 追い抜いてく君」が引き連れてきてくれた仄かな希望が、ない交ぜになって押し寄せてくる。


本当に、君は、誰なのさ?

彼に倣って、苦笑気味に問いかけてみても、答えが返ってくるはずもなく。



そして、この歌は誰がなんと言おうと、早朝に合うのだ。

ひんやりした朝にも、蒸し暑い朝にも。
駅へと続く坂道の途中にも、静まり返る裏路地にも、よく合う。

早朝の、覚醒しきらないアタマに、遠くからささやかな希望を運んでくれるような、あのイントロを流すのだ。


この歌を聴いた朝のわたしは、救われたのか追い落とされたのか、最早よく分からない。
分からないけど、分からなくさせられることが、混乱させられるのが、何故だか心地よい。


わたしにはこんな曲は作れないけど、この心地よさがきっと、わたしを磨いてくれる。
なんとなくそんな気がする。


それにしても、二十年の時を経ても古くならない楽曲って、すごいことだと思う。
メイクやファッションに至っては、十年前のものだって古くさく感じて耐えられないのにね。

緩慢な自殺

恥ずかしい話を白状すると、最近になって煙草をはじめた。

おそらく、この歳から吸い始めるのもかなり珍しいんじゃないかしら。
理由は特にない。
強いて言えば、ストレスからの回避?
そんな大層なこともなく、なんとなく思い立って。
でも結局背中を押されたのは「喫煙は緩慢な自殺」という言葉の魔力だろうか。

今すぐ死にたいほど強い絶望はないけれど、さしあたって人生に希望もない。
そんなわたしのような人間には、かなり魅力的に響く言葉。

元々は喫煙がもたらす健康被害に警鐘を鳴らすためのキャッチコピーだそうで、後日それを知ったときにはあまりの皮肉ぶりに笑ってしまった。。

痛くも痒くもない行為が、ゆっくりとゆっくりと死に追いやっていく。
そこに意味はない。
ああ、ニヒリズム
なんちゃって。

ちなみに、わたしが飛びついた銘柄は、もちろん(!)
ラッキーストライク

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リラックマのライターとのちぐはぐな組み合わせも、なかなか、気に入っている。

吸うなら絶対コレ!と最初から決めていた。
だって、ラッキーには、甘酸っぱーい恋の思い出が葉っぱと一緒に詰まっているから。笑

煙草に火をつける度に、昔の恋人の香りに包まれるなんてステキじゃあない?
あれ?ちょっとロマンチストが過ぎるかい?

胸ポケットからすっと出てくるこのソフトケースが、最高に渋くて素敵だったんだー。

あんまりホッとする香りだから、吸ってみたい、とねだる度に「体に悪いからやめとけ」って言われてたこの煙草。
調べてみると、天国にいちばん近いタバコと言われて、これを吸ってるやつは早死にする、なんて俗説もあるらしいけど。
それにしたってこの香りの魅力にはかなわないよー。

お味は「殺伐とした」なんて形容される、いわゆるキツイ部類に入るらしい。
でも、ゆっくり、やさしーく吸ってあげると、こっくりまろりーんとしたやさしいお味。
なんかもっとロックなイメージだっただけに拍子抜け。
勢いよく吸うとたしかにガツっとくるかな?
そんなこんなで色々試しながら、喫煙ライフを楽しんでいこう!

と、思ったら。。。
いざ喫煙者になってみると想像以上の肩身の狭さに驚いております。

仕事の休憩時間に一服して癒されたいのに、職場でいざ実践しようとすると、「えっタバコ吸うの!?」みたいな視線が厳しいのなんのって!笑

耐えかねて、わざわざ会社の外の喫煙所まで最初のうちは移動してたけど、所詮は会社のすぐ近くだし、誰が見てるか分かんないし…なんて考えているうちに、癒しよりも他人の目を気にするストレスが上回ってしまうという。

もう完全に、他人の目が気にならない自宅のベランダでのんびりと吸おう、と心に誓った矢先、今度はいわゆる「ホタル族」による受動喫煙の訴訟のニュースを目にして、八方塞がり。
ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァ

とりあえず今はベランダーとしてマイペースに活動中。

〔後悔のないように、やりたいことは思いつく限り全部やってみる〕を残りの人生の目標に掲げたはいいけれど、前途多難なご様子でございます。